葬儀って悲しさを紛らわせるためにあるものか

身内の葬儀がおわり、ひと段落ついた今日の夜。

ひとりソファーに座り考えていると、

故人との思い出がどんどんと蘇ってくるんです。

さっきまでそんなこと、考えている暇なかったんですけどね。

突然のできごと

とはいうものの、

昨年から入院していたので、

ある程度の予想と覚悟はしていました。

肺がんのステージⅣだって

ムツキ
ムツキ

……そうか

晩年身体中が痛いと嘆いていたので、ツラい思いは解放してあげたいと感じてました。

抗がん剤での治療はせずに、痛みを紛らわせながら余生を過ごしてほしい。

そう、感じていました。

主治医に聞いたら、「苦しむことなく眠るように旅立った」とおっしゃっていた。

ひとまず痛みから解放されたのと、安らかに旅立ったという事実に安堵して、僕はふぅとため息をついたのです。

不思議な出来事

そこから今日まで、いつも起こることのないハプニングが起きました。

  • スマートキーでインキー
  • 注文したものとは違う供物が届く
  • 原因不明のふくらはぎ痛
  • 妹に勝手にLINE通話
  • 壊れる数珠
  • レジ打ちの金額入力ミス
  • 横切るエゾシカの大群

最初から最後までハプニングが続いていたので、

僕は故人のイタズラだといいました。

ムツキ
ムツキ

いやー参ったよホント、

イタズラされちゃたまったもんじゃないよ 笑

実際そう感じているし、今でもそういっています。

でも、本心は、

近くで故人の存在を感じていたかったから

そう言ったのだと思ってます。

思い

故人とは僕のおばあちゃんです。

色んなものを買ってくれたし、いつも僕の味方でいてくれた。

そんな甘いおばあちゃんでした。

でも、僕が歳を重ねるにつれて、おばあちゃんに冷たくなっていたのかもしれません。

仕事のことで頭がいっぱいで、

話をする機会も少なくなって、

コロナ禍で面会も満足にできず、

でももっとできることはあったのかな、と

後悔していることもあります。

だから今までのハプニングを、

おばあちゃんがイタズラしてるんだ、

といいつつ、

近くにいることを感じていたかったんだと思う。

少なくとも僕が産まれてからずっと、

当たり前に、そこにいてくれた人だから。

無意識のうちに、当たり前に存在しているって、

思いたかったのだとおもう。

今、涙

全ての葬儀が終わった今日の夜。

涙している僕がいます。

式の最中は、泣くことはなかったけれど、

この記事を書いている今、泣いています。

式の準備をあわただしくおこない、

(とはいっても、ほとんど父と叔父が中心になっていたので準備も少なかったけど)

何度も線香を立て、

さらに作物の管理をしながらだから、

おばあちゃんのことを考える余裕はありませんでした。

きっと暇になると悲しむから、紛らわせるために通夜と葬式ってあるんだと思います。

おばあちゃんの冥福と、安心して旅立ってもらうために。

ありがとう

最後になったけど

おばあちゃん

ありがとう

この言葉を、最後に直接伝えられなかったのが、

最大の心残りだと感じている。

でも、今まで過ごした日々は、

僕の大切な思い出です。

本当に、本当に、

ありがとう

面白かったらシェアしてね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT US
ムツキ
ムツキ
いつでもそこにいるブロガーを目指してる30代農家。 何でもアリの雑記ブログやケータイ小説などを書いてます。